1977 年━━
原口典之(1946-2020)は、作品《オイルプール》で世界舞台に登場した。国際美術の祭典、 「ドクメンタ 6」でのことである。巨大な鉄のプールに廃油を満たした渾身の作品は、工業素材に内在する重力と水平という自然現象を用いた独自表現であり、グローバル美術史にその名を残すことになった。それに先立つ 1968-69 年━━原口はひそやかに美術史への挑戦を始めていた。原寸大に再現された戦闘機スカイホークは前方を切り落とされ、中は空洞で輪切りにしたように後部だけが残されている。大胆なオブジェから浮上する物体と空虚の両義性は、意外にも、平面のハニカム構造のシリーズへと続いていった。そして、ここから、素材の本質を見極めるポストミニマリスト、原口典之が展開していく。日欧米の同時代の作家たちとともに、絵画や彫刻の新たなる思考をたずさえて━━
原口典之は第二次世界大戦が終結した翌年、1946 年 8 月 15 日に横須賀で生まれた。横須賀は今でも日米海軍の主要な軍港があり、周辺の港には漁船や軍艦が混在する。1954-1960 年、北方の反共防衛のため、レーダー技師であった父の転勤により東北の僻地へ。幼少期この 2 つのドラスティックな文化的混乱と混交を経験した原口は芸術的なイメージとしての原風景を思考するようになった。 1968-搬送される米海軍ジェット戦闘機と遭遇し、政治性の埒外で《1968 A-4E スカイホーク》を制作する。これが、原口のミニマリズムの美学と芸術観を確立する上で決定的なものとなった。原口が 1971 年に始めた《OIL POOL》シリーズは。1977 年には《Mattr and Mind」》としてカッセルの「ドクメンタ 6」で発表される。国際舞台での第1 歩を記した原口は、 素材の本質に迫るポスト・ミニマリズムの評価を受け、 世界的な作家へと飛躍する。
事物の表層でなく構造に注目し、物質性を喚起する。原口は、二次元であれ三次元であれ、物理的現実にひそむ空間を探求している。 この間、原口は横須賀からほど近い逗子を長く拠点としていたが、 2010-2020年、再び東北へ。原口はほぼ半世紀にわたって、日本、米国、ヨーロッパ、アジア各地で作品を発表した。
回顧展は「Noriyuki Haraguchi」/レンバッハハウス美術館、 ミュンヘン (2001)、 「社会と物質」/BankART1929 Studio NYK、神奈川 (2009)、 「原口典之」/横須賀美術館、神奈川(2011)、で開催されている。近年の重要グループ展には、 「黒い正方形-マレーヴィチ讃歌」/ハンブルク市立美術館、 ハンブルグ(2007)、「Requiem for the sun: The Art of Mono-ha」/ブラム・アンド・ポー、ロスアンジェルス(2012) 、や「TOKYO1955–1970:新しい前衛」/ニューヨーク近代美術館、 ニューヨーク (2012)などがある。